中学校 道徳教科書
「桃太郎」の鬼退治
内容項目 | 主として人とのかかわりに関すること |
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相互理解、寛容 |
教材名
「『桃太郎』の鬼退治」(光村図書中学2年p.164「相互理解」「寛容」)
▼以下の指導案は1年生の時に学習した「正義ってなんだろう」を踏まえて、作成してみた。桃太郎側と鬼の側の二つの正義を検討することを通して、今一度「正義」について考えたい。
▼p.106の「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」という広告作品にはなじめない生徒がいるかもしれないが、今から150年近くも前に福澤諭吉が同じようなイメージの文章を書いている(参考資料1)。
▼本指導案では鬼と桃太郎それぞれの視点に立った新聞記事を、見出しを中心に作ってみたい。
▼1年生の教科書「なんだろうなんだろう 正義って何だろう」で示された「だれかを否定するのでもない、だれかに譲るのでもない、そんな『しなやかな正義』をつくって、みんなで上手に使うことはできるんだろうか」という視点に立つとどのような記事になるかということも考えたい。
▼本指導案は2015年6月2日に毎日新聞に掲載された記事「視点・立場で変わる見出し」(「くらしナビ 学ぶ」欄)を参照した。
▼生徒たちのさまざまな見方、見解を自由に発表してもらうことが特に重要である。
1. 「福澤版 桃太郎と鬼退治」(福沢諭吉『日々の教え、童蒙教え草』金谷俊一郎訳 PHP研究所 2015年)
桃太郎が鬼ヶ島に行ったのは、
鬼の宝を取りに行くためだったそうじゃないか。
けしからぬことではないかい。
宝は鬼の大事なもので、大切にしまってあるものだ。
宝の持ち主は鬼なのだよ。
鬼のものである宝を、意味もなく取りに行くとは、
桃太郎は 盗人ともいえる悪者ではないか。
その鬼が悪者で、悪いことをしたというならば、
桃太郎の勇気で、これをこらしめるのは良いことである。
しかし、鬼の宝を奪って家に帰り、
おじいさんとおばあさんにその宝をあげたというのは、
ただ欲のためにしたことで、
卑劣千万なことではないかい。
注 この部分は「日々の教え 六つの大切なこと」の「強欲であってはいけない」の次に「番外編」として掲載されている。
池澤夏樹「桃太郎と教科書 知的な反抗精神養って」朝日新聞2014年12月2日参照
2.鬼について
▼日本の昔話には鬼がたびたび登場する。「泣いた赤おに」などはずいぶんと可愛げのある存在だが、「桃太郎の鬼退治」に登場する鬼はただの「悪」である(かわいい絵にはなっているが)。「鬼」とはいったいどんな存在なのか、少し触れておきたい。教材の「ボクのおとうさんは、桃太郎といういうやつに殺されました」というたどたどしい「告発」文を、涙を流しながら書いている子鬼のためにも。教材とは別にあらかじめ鬼の説明が必要な場合は、授業者がご自分で参考文献に当たることをおすすめする。
▼参考文献に挙げた「谷川健一他編『民衆史の遺産』」第二巻によると、本居宣長は畏怖の対象となるものを「神」と呼んだ。宣長によれば、人は神とも妖怪とも区別がつかない存在を畏敬の対象としてきたのである。古事記伝は次のように述べている。「悪き者、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云うなり」。(同書p.5より)
▼やがて邪悪の存在の中でも異形、異風なものは「鬼」と呼ばれるようになった。古今著聞集には次の記事が記載されているという。
▼「伊豆の国、奥島」に一艘の船が着き、そこには8人の鬼が乗っていた。鬼は馬のように飲み食いし、言葉を発しなかった。身の丈は3メートル近く、髪は夜叉のようで体は赤黒く目は猿の目のようであった。(同書p.10)
▼歌人の馬場あき子さんが書いた「鬼の研究」(参考文献参照)によれば、鬼はあまりに人間的な存在であるが故に体制の規準に合わず、体制の外の生を余儀なくされたものである。世間から非難され、追放された人々、怨恨、憤怒、雪辱などさまざまな情念を契機として鬼となった人々、平安王朝が繁栄したその時、その暗部に住んだ人々である。
▼参考文献
馬場あき子『鬼の研究』ちくま文庫 1988年
谷川健一他編集『民衆史の遺産』第二巻 大和書房 2012年
3. 見出し、記事の内容についての例
〈見出しの例〉
桃太郎、鬼ヶ島を征服
犬、サル、キジを雇う、村民安堵
〈記事の内容のあらまし〉
桃太郎が鬼ヶ島を制圧して凱旋した。うばった財宝は村に寄付され、村人に一人の犠牲者も出さなかったことが高く評価され、桃太郎には特別報奨金が与えられた。