小学校 道徳教科書
学研未来 みんなの道徳
幸福の王子
内容項目 | 主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること |
---|---|
感動、畏敬の念 |
1.本教材について
教材名
「しあわせの 王子」 (光文書院 2年 p.156「感動、畏敬の念」)
「しあわせの 王子」 (廣済堂あかつき 2年 p.108「感動、畏敬の念」)
「しあわせの王子」 (教育出版 2年 p.106「感動、畏敬の念」)
「幸福(こうふく)の王子」 (学研みらい 3年 p.132「感動、畏敬の念」)
「幸せ(しあわせ)の王子」 (学校図書 3年 p.88「感動、畏敬の念」、 ※別冊p.42)
「しあわせの王子」 (東京書籍 3年 p.128「感動、畏敬の念」)
(1)作品について
▼「幸福の王子」の原作は、オスカー・ワイルドの子ども向け短編小説 ‘The Happy Prince’ (1888年初出版)である。教科書の掲載文は、1時間枠の授業でまとまりをつけるように分量・内容が大きく改編されている。また、原作の内容は、幸せ、愛といった普遍的で深いテーマをもっているが、教科書の掲載文は、自己犠牲の物語になっている。出版社によって表現は多少異なっているが、概ね次のような筋で書かれている。
▼“南国へ急ぐ一羽のツバメが、「幸福の王子」と呼ばれる銅像の足元で羽を休めていた。上から雫が落ちてくるので見上げると、王子が泣いていた。王子は身に付けている宝石を貧しい人へ届けるようツバメに頼む。ツバメは南国へ帰るのを遅らせ王子の願いをかなえるが、そのうちに王子のそばに留まることを決意する。冬、王子には施す何物も残らず、つばめは息絶える。そこへ天使が降りてきて、王子とつばめを天に運ぶ。”
(2)教材におけるテーマ、その取り扱いについて
▼本教材は、苦しむ人々のために自分の身を差し出すという自己犠牲の物語である。この教材のテーマを、いずれの出版社も“「美しいもの」にふれ感動する心を持つこと”(学習指導要領・視点D)としている。自己犠牲の精神を「美しい心」と評価し、価値あるものとして学ばせることは、命と人権を尊重する教育を行う観点から疑問である。
▼文末には設問があり、【東京書籍】では、“今までに、人のためにゆずったり、がまんをしたり、つくしたりなど、人のことを思う心のうつくしさをかんじたことはありませんか” と問いかけている。ここでは「人のことを思う心のうつくしさ」として、自己犠牲にまでは至らないよう「思いやりの心」にとどめようとする意図が読み取れる。しかし物語を読んだときの子どもの受け止め方は様々であって、子どもによっては、思いやりを通りこして自分を大切にする気持ちが失われるようなことにもなりかねない。そうしたことから、この教材の問題を回避するため副教材を用いるとか、テーマを替えて授業を組み立てるとか、なんらかの手立てを考えることが望ましい。
(3)原作では王子とツバメそれぞれをどう描いているか
▼原作では、人の醜さ、愚かさ、貧富の差などの記述が全面にあり、その内容は実に作品の半分を占めている。その内容は、王子の献身の動機を理解するためには欠かせない(※教材文では全部削除されている)。王子は町の人々の苦しみを見てツバメにこう語っている。「苦しみを受けている人々の話ほど驚くべきことはない。度し難い悲しみ以上に解きがたい謎はないのだ」と。
▼苦しむ人々のために自分の身を差し出すこと、これは自己犠牲といえる。けれど王子は思うだけで動くことができない。そこでツバメに頼むのである。ツバメは王子の頼みを引き受け、やがて死に至る。さて、このツバメも自己犠牲といえるだろうか?
▼原作には、ツバメにはツバメの、王子と同じではない動機が書き込まれている。ツバメが王子の頼みを初めて実行して戻ったとき、"It is curious," he remarked, "but I feel quite warm now, although it is so cold."── 「妙なことに」「こんなに寒いのに、僕は今とても温かい気持ちがするんです」 と言う。(※【学研みらい】のみ、この記述がある。) ツバメの言うこの「温かい気持ち」は、この時点ではcuriousな、自覚できない感情だったが、時を経てやがて雪が降りだしたころには、自覚した感情に変わっている。
▼The poor little Swallow grew colder and colder, but he would not leave the Prince, he loved him too well. ツバメは王子を愛し、そばから離れず、やがて息絶える。このことを自己犠牲と見なすことはできない。なぜなら、ツバメは愛する王子とともに居ることで気持ちが温かくなり(feel quite warm)、幸せだったのであり、そのことを感じて自ら選択した生き方であったから。王子とツバメの死を、どちらも自己犠牲であると括ることはできない。
(4)作者の伝えたかったテーマ
▼ツバメの「こんなに寒いのに、僕は今とても温かい気持ちがするんです」──"but I feel quite warm now, although it is so cold."──という言葉は重要である。作者はツバメの言葉を借りて、「幸せとは何か」というテーマを投げかけていると察することができる。(※このツバメの言葉は、ルビーを届けて戻ったときに王子に言った言葉。末尾に記載している資料を参照)。教科書のテーマ「自己犠牲の美しさ」に替えて、「幸せとは何か」というテーマにして授業を組み立てるということも一案である。
教材名
「しあわせの 王子」 (光文書院 2年 p.156「感動、畏敬の念」)
「しあわせの 王子」 (廣済堂あかつき 2年 p.108「感動、畏敬の念」)
「しあわせの王子」 (教育出版 2年 p.106「感動、畏敬の念」)
「幸福(こうふく)の王子」 (学研みらい 3年 p.132「感動、畏敬の念」)
「幸せ(しあわせ)の王子」 (学校図書 3年 p.88「感動、畏敬の念」、 ※別冊p.42)
「しあわせの王子」 (東京書籍 3年 p.128「感動、畏敬の念」)
(1)作品について
▼「幸福の王子」の原作は、オスカー・ワイルドの子ども向け短編小説 ‘The Happy Prince’ (1888年初出版)である。教科書の掲載文は、1時間枠の授業でまとまりをつけるように分量・内容が大きく改編されている。また、原作の内容は、幸せ、愛といった普遍的で深いテーマをもっているが、教科書の掲載文は、自己犠牲の物語になっている。出版社によって表現は多少異なっているが、概ね次のような筋で書かれている。
▼“南国へ急ぐ一羽のツバメが、「幸福の王子」と呼ばれる銅像の足元で羽を休めていた。上から雫が落ちてくるので見上げると、王子が泣いていた。王子は身に付けている宝石を貧しい人へ届けるようツバメに頼む。ツバメは南国へ帰るのを遅らせ王子の願いをかなえるが、そのうちに王子のそばに留まることを決意する。冬、王子には施す何物も残らず、つばめは息絶える。そこへ天使が降りてきて、王子とつばめを天に運ぶ。”
(2)教材におけるテーマ、その取り扱いについて
▼本教材は、苦しむ人々のために自分の身を差し出すという自己犠牲の物語である。この教材のテーマを、いずれの出版社も“「美しいもの」にふれ感動する心を持つこと”(学習指導要領・視点D)としている。自己犠牲の精神を「美しい心」と評価し、価値あるものとして学ばせることは、命と人権を尊重する教育を行う観点から疑問である。
▼文末には設問があり、【東京書籍】では、“今までに、人のためにゆずったり、がまんをしたり、つくしたりなど、人のことを思う心のうつくしさをかんじたことはありませんか” と問いかけている。ここでは「人のことを思う心のうつくしさ」として、自己犠牲にまでは至らないよう「思いやりの心」にとどめようとする意図が読み取れる。しかし物語を読んだときの子どもの受け止め方は様々であって、子どもによっては、思いやりを通りこして自分を大切にする気持ちが失われるようなことにもなりかねない。そうしたことから、この教材の問題を回避するため副教材を用いるとか、テーマを替えて授業を組み立てるとか、なんらかの手立てを考えることが望ましい。
(3)原作では王子とツバメそれぞれをどう描いているか
▼原作では、人の醜さ、愚かさ、貧富の差などの記述が全面にあり、その内容は実に作品の半分を占めている。その内容は、王子の献身の動機を理解するためには欠かせない(※教材文では全部削除されている)。王子は町の人々の苦しみを見てツバメにこう語っている。「苦しみを受けている人々の話ほど驚くべきことはない。度し難い悲しみ以上に解きがたい謎はないのだ」と。
▼苦しむ人々のために自分の身を差し出すこと、これは自己犠牲といえる。けれど王子は思うだけで動くことができない。そこでツバメに頼むのである。ツバメは王子の頼みを引き受け、やがて死に至る。さて、このツバメも自己犠牲といえるだろうか?
▼原作には、ツバメにはツバメの、王子と同じではない動機が書き込まれている。ツバメが王子の頼みを初めて実行して戻ったとき、"It is curious," he remarked, "but I feel quite warm now, although it is so cold."── 「妙なことに」「こんなに寒いのに、僕は今とても温かい気持ちがするんです」 と言う。(※【学研みらい】のみ、この記述がある。) ツバメの言うこの「温かい気持ち」は、この時点ではcuriousな、自覚できない感情だったが、時を経てやがて雪が降りだしたころには、自覚した感情に変わっている。
▼The poor little Swallow grew colder and colder, but he would not leave the Prince, he loved him too well. ツバメは王子を愛し、そばから離れず、やがて息絶える。このことを自己犠牲と見なすことはできない。なぜなら、ツバメは愛する王子とともに居ることで気持ちが温かくなり(feel quite warm)、幸せだったのであり、そのことを感じて自ら選択した生き方であったから。王子とツバメの死を、どちらも自己犠牲であると括ることはできない。
(4)作者の伝えたかったテーマ
▼ツバメの「こんなに寒いのに、僕は今とても温かい気持ちがするんです」──"but I feel quite warm now, although it is so cold."──という言葉は重要である。作者はツバメの言葉を借りて、「幸せとは何か」というテーマを投げかけていると察することができる。(※このツバメの言葉は、ルビーを届けて戻ったときに王子に言った言葉。末尾に記載している資料を参照)。教科書のテーマ「自己犠牲の美しさ」に替えて、「幸せとは何か」というテーマにして授業を組み立てるということも一案である。
2.本教材を扱う際に、特に注意すべきだと考えたこと
▼教材は自己犠牲の物語である。それを「美しいもの」として取り扱うことは問題である。そこで一案として、作者が伝えたかったであろう「幸せとは何か」をテーマとする授業案を下に提示する。ツバメの気持ち(自己犠牲ではない)を想像し、話し合うことにより、「幸せとは何か」について考えるというものである。
▼ツバメが王子の元を離れず、心の幸せを自ら選んだとしても、凍えて死んでしまうという結末は子どもが読み終わって悲しい後味を残す。子どもたちには生きることの希望を養いたい。そこで、ツバメがもし、王子が南の国へ行きなさいと促したときに、生きることを選んだとすれば・・・・と想像する活動を提案する。生きていれば未来があり、例えばまた戻ってきて、王子の遺志を継ぐような活動もできる・・・など考えを出し合うとよい。
▼ツバメが王子の元を離れず、心の幸せを自ら選んだとしても、凍えて死んでしまうという結末は子どもが読み終わって悲しい後味を残す。子どもたちには生きることの希望を養いたい。そこで、ツバメがもし、王子が南の国へ行きなさいと促したときに、生きることを選んだとすれば・・・・と想像する活動を提案する。生きていれば未来があり、例えばまた戻ってきて、王子の遺志を継ぐような活動もできる・・・など考えを出し合うとよい。
参考資料
■The Happy Princeオスカー・ワイルド作「幸福の王子」の全文翻訳を、「翻訳の部屋-「結城浩」のサイトで見ることができる。(www.hyuki.com/trans/prince.html) <版権表示>Copyright (C) 2000 Hiroshi Yuki (結城 浩) 本翻訳は、この版権表示を残す限り、 訳者および著者にたいして許可をとったり使用料を支払ったりすること一切なしに、 商業利用を含むあらゆる形で自由に利用・複製が認められます。プロジェクト杉田玄白正式参加作品。
指導案はPDFをご覧ください。
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