小学校 道徳教科書
学校図書 かがやけみらい
心を結ぶ一本のロープ
内容項目 | 主として人との関わりに関すること |
---|---|
親切、思いやり |
1.本教材について
▼毎年,「くにびきマラソン」を開催している出雲市の市長に,ある年全盲の方から「マラソン大会に参加したい・・・」という電話があり,どうしたものかと悩んだ市長が,伴走者がいればいいのだと思いつき,市役所の職員5人が交代で伴走し完走したという話です。
▼当時(1992年)すでにブラインドマラソンや伴走者の養成などの取り組みが各地で進められていました。マラソンに参加希望の電話の主は「参加したいが,誰か伴走してくれる人はいないか」という相談でした。市長や担当部局の仕事は,大会に参加したい視覚障害のある参加希望者の権利を保障することです。誰でも参加できるの「誰でも」の中から視聴覚障害やその他の障害をもつ方の存在が抜けていたことこそを市長は恥じ,障害者の権利を保障する立場でのとりくみを進めることが必要でした。
▼障害者の権利が「思いやり」や「親切」といった道徳的価値に変えられていくことが問題です。障害者=助けてあげなければならない人」だから,思いやりの心をもって親切に接しましょう,という「してあげる」「してもらう」の関係は対等ではなく差別の関係です。誰もが参加できるように当事者との合意形成を踏まえた合理的配慮をすることが主催者側の責任なのであって,親切や思いやりではありません。
▼この話に主役であるべき当事者が全く登場しないのは、合意形成の過程が示されていないので、市長の一方的な思いやりを美化しています。市長も5人の職員も「どうしたらよいのか・・・」「どんな言葉をかけたらいいのか」「腕振りのタイミングはどうなのか」と悩む前に,当事者に「どうすることを必要としていますか?」と聞く必要がありました。一方的な「思いやり」では「迷惑」になることだって考えられます。それぞれの障害者にはそれぞれの「特別なニーズ」がありますが,障害者の権利保障として行政がどのような合理的配慮を行うべきなのかについて考え議論を深めることが重要になります。
▼当時(1992年)すでにブラインドマラソンや伴走者の養成などの取り組みが各地で進められていました。マラソンに参加希望の電話の主は「参加したいが,誰か伴走してくれる人はいないか」という相談でした。市長や担当部局の仕事は,大会に参加したい視覚障害のある参加希望者の権利を保障することです。誰でも参加できるの「誰でも」の中から視聴覚障害やその他の障害をもつ方の存在が抜けていたことこそを市長は恥じ,障害者の権利を保障する立場でのとりくみを進めることが必要でした。
▼障害者の権利が「思いやり」や「親切」といった道徳的価値に変えられていくことが問題です。障害者=助けてあげなければならない人」だから,思いやりの心をもって親切に接しましょう,という「してあげる」「してもらう」の関係は対等ではなく差別の関係です。誰もが参加できるように当事者との合意形成を踏まえた合理的配慮をすることが主催者側の責任なのであって,親切や思いやりではありません。
▼この話に主役であるべき当事者が全く登場しないのは、合意形成の過程が示されていないので、市長の一方的な思いやりを美化しています。市長も5人の職員も「どうしたらよいのか・・・」「どんな言葉をかけたらいいのか」「腕振りのタイミングはどうなのか」と悩む前に,当事者に「どうすることを必要としていますか?」と聞く必要がありました。一方的な「思いやり」では「迷惑」になることだって考えられます。それぞれの障害者にはそれぞれの「特別なニーズ」がありますが,障害者の権利保障として行政がどのような合理的配慮を行うべきなのかについて考え議論を深めることが重要になります。
2.本教材を扱う際に、特に注意すべきだと考えたこと
▼共に生きる社会を考えるとき,障害者のハンディを埋めるのは当たり前のことで,それを「親切や思いやり」という心のもちようで終わらせてはいけない,障害者の権利を保障することを子どもたちが考えることが大事です。
▼別冊の「見事ゴールインした時,5人はどんな気持ちだったでしょう」という発問は,「目の不自由な人が完走できてよかった。」⇒「やってあげてよかった。」⇒「いいことすると気持ちがいい。」になってしまう、という健常者の善意を美化する方向に導くので問題があります。
▼別冊の「見事ゴールインした時,5人はどんな気持ちだったでしょう」という発問は,「目の不自由な人が完走できてよかった。」⇒「やってあげてよかった。」⇒「いいことすると気持ちがいい。」になってしまう、という健常者の善意を美化する方向に導くので問題があります。