中学校 道徳教科書
日本文教 明日を生きる
きいちゃん
内容項目 | 主として集団や社会との関りに関すること |
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家族愛、家庭生活の充実 |
1.本教材について
▼この教材(絵本)が作られた頃、きいちゃんの母は、世の中に当たり前のようにあった障がい者へのまなざしや言動を差別だとは思っていなかった。母は障がいのあるきいちゃんの「思い」よりも、障がいを克服することがきいちゃんにとって大事なことだと思っていた。しかし、きいちゃんが成長し家族がきいちゃんの姉を思う一途な心(手作りの浴衣に込められた「思い」)にふれた時、母や姉はきいちゃんの「家族を取り戻したい」という思いを知り、きいちゃんを家族から失いかけていたことに気づかされた。このきいちゃんと家族の物語を通して、きいちゃん自身が失いかけていた自分の「家族」を取り戻したいという必死の思いや、世の中の当たり前さに抗う気持ちを考えさせたい教材である。
▼この教材の内容項目はC「家族愛、家庭生活の充実」であるが、きいちゃんが自分と家族の関係を作り直そうとする教材として扱いたいと考えて内容項目の本案をC(11)「公正、公平、社会正義 」と設定した。
▼また、1994年当時に作られた教材は、現在の世界が標榜する共生社会やインクルーシブ社会の考え方以前の旧態依然とした社会意識の中で作られている感を免れない。それゆえに、生徒が読むときに以下の記載内容について留意する必要がある。 きいちゃんは、小さいときに高熱が出て、それがもとで手や足が動かなくなってしまいました。そして、高校生になった今も、訓練を受けるためにお家を遠く離れて、この学校に来ているのです。 おかあさんは面会のたびに、まだ暗いうちに家を出て、電車やバスをいくつも乗り継ぎ、四時間もかけてきいちゃんに会いにこられていたのです。
▼この説明では、きいちゃんは小さいころから高校生(当時の言い方では養護学校高等部)になるまで家を非常に遠く離れてこの寄宿舎を持つ(もしくは療育施設隣接の)学校で障がいを治す訓練をしていることがわかる。障害者基本法(1970年策定2011年改正)では「第十七条 国及び地方公共団体は、障がい者である子どもが可能な限りその身近な場所において療育その他これに関連する支援を受けられるよう必要な施策を講じなければならない。」と明記している。また、2006年、国連総会で採決された障害者権利条約(日本は2014年に批准)は、社会が合理的配慮をすることで、障がいのある人もない人も同じように、好きな場所で暮らし、行きたいところに行けるといった“当たり前”の権利と自由を認め、社会の一員として尊厳をもって生活することを明記している
▼そして、世界の潮流は、障がいその当事者個人の心身の問題として障がいを克服することを重視する「医学モデル」ではなく、社会が障がい者の権利を保障するために必要な合理的配慮を重視するインクルーシブな「社会モデル」としてとらえる時代に大きく変わってきている。障害者権利条約の24条(インクルーシブな教育を受ける権利)では、どんな障がいを持っていても、家の近くの普通学校に通って、みんなと一緒に勉強したり遊んだりすることができ、また、一人ひとりに合った教材が必要だったり学校内の移動に助けが必要だったりしたら、ちゃんとその支援が受けることができるということが謳われている。
▼このことを考えるために参考資料に重度の脳性マヒ障がい者である杉原公裕さんの「51歳からの1人生活」の中で、子どものころ親から離れて施設で暮らしたときの経験が大いに参考になる。
▼「きいちゃん」を扱う授業者は障がい者当事者の思いやインクルーシブ社会の意義やありかたをふまえて道徳等の学習を進めていく必要がある。 2.「共生社会」の理解を進めるために
▼文科省は[参考資料①]で「共生社会の形成に向けて、障害者の権利に関する条約に基づくインクルーシブ教育システムの理念が重要であり、その構築のため、特別支援教育を着実に進めていく必要があると考える。」「特別支援教育に関連して、障がい者理解を推進することにより、周囲の人々が、障がいのある人や子どもと共に学び合い生きる中で、公平性を確保しつつ社会の構成員としての基礎を作っていくことが重要である。次代を担う子どもに対し、学校において、これを率先して進めていくことは、インクルーシブな社会の構築につながる。」等との報告を出している。しかし、全国の学校の特別支援教育の内実はほとんど旧態依然とした分離教育(特殊教育という名の分離教育)指向の認識で実践されていて、共生社会に向けての意識を育てる教育は進んでいない。
▼中学校道徳各社教科書の教材に障がい者との共生を考えさせるものだと思われるものを参考資料③に挙げたが、どれも健常者の視点で書かれていて障がい者の視点がないように思われる。
▼文科省が参考資料①で示した方向で、学校全体でインクルーシブ教育を進めているところがあるのかどうかは把握できていない。が、社会的な課題である少子化の現実とは裏腹に、特別支援教育という名の分離教育がスマートに広く浸透している。その証左として、特別支援学校や特別支援学級に在籍する子どもたちが増加しているため、全国的に学校数や学級数を増加する事態になっている。いわゆる通常学級で障がいのある子もない子もともに学ぶ方向には進んでいないことは明らかである。
▼つまりは、子どもたちはそれぞれの地域で、そして学校社会の中で、障がいのある子どもたちと共に学び共に暮らす機会がないということでもある。そうであれば、小さいころ障がいを持ったきいちゃんがなぜ親から離れて非常に遠く離れた学校に行って障がいを克服する訓練をするようになったのか理解をすることはできないし、成長したきいちゃんが障がい者ゆえに“奪われたもの”の大きさや、それを何とかして “取り戻したい”という願いの大きさを想像することはできない。いや、子どもだけでなく教師自身もほとんどの人がその生い立ちの中で、障がい者と共に生きる社会で育っていないのだからきいちゃんの気持ちに迫ることが難しいのではないか、とすら思われる。
▼共に生きることを否定され排除された障がい者の「思い」や、インクルーシブな社会を希求する障がい者の「思い」を受け止めて考える契機として、教師向けに[参考資料②]を提示しておいた。授業の中で使用することも可能である。
▼この教材の内容項目はC「家族愛、家庭生活の充実」であるが、きいちゃんが自分と家族の関係を作り直そうとする教材として扱いたいと考えて内容項目の本案をC(11)「公正、公平、社会正義 」と設定した。
▼また、1994年当時に作られた教材は、現在の世界が標榜する共生社会やインクルーシブ社会の考え方以前の旧態依然とした社会意識の中で作られている感を免れない。それゆえに、生徒が読むときに以下の記載内容について留意する必要がある。 きいちゃんは、小さいときに高熱が出て、それがもとで手や足が動かなくなってしまいました。そして、高校生になった今も、訓練を受けるためにお家を遠く離れて、この学校に来ているのです。 おかあさんは面会のたびに、まだ暗いうちに家を出て、電車やバスをいくつも乗り継ぎ、四時間もかけてきいちゃんに会いにこられていたのです。
▼この説明では、きいちゃんは小さいころから高校生(当時の言い方では養護学校高等部)になるまで家を非常に遠く離れてこの寄宿舎を持つ(もしくは療育施設隣接の)学校で障がいを治す訓練をしていることがわかる。障害者基本法(1970年策定2011年改正)では「第十七条 国及び地方公共団体は、障がい者である子どもが可能な限りその身近な場所において療育その他これに関連する支援を受けられるよう必要な施策を講じなければならない。」と明記している。また、2006年、国連総会で採決された障害者権利条約(日本は2014年に批准)は、社会が合理的配慮をすることで、障がいのある人もない人も同じように、好きな場所で暮らし、行きたいところに行けるといった“当たり前”の権利と自由を認め、社会の一員として尊厳をもって生活することを明記している
▼そして、世界の潮流は、障がいその当事者個人の心身の問題として障がいを克服することを重視する「医学モデル」ではなく、社会が障がい者の権利を保障するために必要な合理的配慮を重視するインクルーシブな「社会モデル」としてとらえる時代に大きく変わってきている。障害者権利条約の24条(インクルーシブな教育を受ける権利)では、どんな障がいを持っていても、家の近くの普通学校に通って、みんなと一緒に勉強したり遊んだりすることができ、また、一人ひとりに合った教材が必要だったり学校内の移動に助けが必要だったりしたら、ちゃんとその支援が受けることができるということが謳われている。
▼このことを考えるために参考資料に重度の脳性マヒ障がい者である杉原公裕さんの「51歳からの1人生活」の中で、子どものころ親から離れて施設で暮らしたときの経験が大いに参考になる。
▼「きいちゃん」を扱う授業者は障がい者当事者の思いやインクルーシブ社会の意義やありかたをふまえて道徳等の学習を進めていく必要がある。 2.「共生社会」の理解を進めるために
▼文科省は[参考資料①]で「共生社会の形成に向けて、障害者の権利に関する条約に基づくインクルーシブ教育システムの理念が重要であり、その構築のため、特別支援教育を着実に進めていく必要があると考える。」「特別支援教育に関連して、障がい者理解を推進することにより、周囲の人々が、障がいのある人や子どもと共に学び合い生きる中で、公平性を確保しつつ社会の構成員としての基礎を作っていくことが重要である。次代を担う子どもに対し、学校において、これを率先して進めていくことは、インクルーシブな社会の構築につながる。」等との報告を出している。しかし、全国の学校の特別支援教育の内実はほとんど旧態依然とした分離教育(特殊教育という名の分離教育)指向の認識で実践されていて、共生社会に向けての意識を育てる教育は進んでいない。
▼中学校道徳各社教科書の教材に障がい者との共生を考えさせるものだと思われるものを参考資料③に挙げたが、どれも健常者の視点で書かれていて障がい者の視点がないように思われる。
▼文科省が参考資料①で示した方向で、学校全体でインクルーシブ教育を進めているところがあるのかどうかは把握できていない。が、社会的な課題である少子化の現実とは裏腹に、特別支援教育という名の分離教育がスマートに広く浸透している。その証左として、特別支援学校や特別支援学級に在籍する子どもたちが増加しているため、全国的に学校数や学級数を増加する事態になっている。いわゆる通常学級で障がいのある子もない子もともに学ぶ方向には進んでいないことは明らかである。
▼つまりは、子どもたちはそれぞれの地域で、そして学校社会の中で、障がいのある子どもたちと共に学び共に暮らす機会がないということでもある。そうであれば、小さいころ障がいを持ったきいちゃんがなぜ親から離れて非常に遠く離れた学校に行って障がいを克服する訓練をするようになったのか理解をすることはできないし、成長したきいちゃんが障がい者ゆえに“奪われたもの”の大きさや、それを何とかして “取り戻したい”という願いの大きさを想像することはできない。いや、子どもだけでなく教師自身もほとんどの人がその生い立ちの中で、障がい者と共に生きる社会で育っていないのだからきいちゃんの気持ちに迫ることが難しいのではないか、とすら思われる。
▼共に生きることを否定され排除された障がい者の「思い」や、インクルーシブな社会を希求する障がい者の「思い」を受け止めて考える契機として、教師向けに[参考資料②]を提示しておいた。授業の中で使用することも可能である。
2.本教材を扱う際に、特に注意すべきことだと考えたこと
「共生社会」の理解を進めるために
▼文科省は参考資料①で「共生社会の形成に向けて、障害者の権利に関する条約に基づくインクルーシブ教育システムの理念が重要であり、その構築のため、特別支援教育を着実に進めていく必要があると考える。」「特別支援教育に関連して、障害者理解を推進することにより、周囲の人々が、障害のある人や子どもと共に学び合い生きる中で、公平性を確保しつつ社会の構成員としての基礎を作っていくことが重要である。次代を担う子どもに対し、学校において、これを率先して進めていくことは、インクルーシブな社会の構築につながる。」等との報告を出している。しかし、全国の学校の特別支援教育の内実はほとんど旧態依然とした分離教育(特殊教育という名の分離教育)指向の認識で実践されていて、共生社会に向けての意識を育てる教育は進んでいない。
▼中学校道徳各社教科書の教材に障がい者との共生を考えさせるものだと思われるものを参考資料③に挙げたが、どれも健常者の視点で書かれていて障がい者当事者の視点がないように思われる。
▼文科省が参考資料①で示した方向で、学校全体でインクルーシブ教育を進めているところがあるのかどうかは把握できていない。が、社会的な課題である少子化の現実とは裏腹に、特別支援教育という名の分離教育がスマートに広く透している。その証左として、特別支援学校や特別支援学級に在籍する子どもたちが増加しているため、全国的に学校数や学級数を増加する事態になっている。いわゆる通常学級で障がいのある子もない子もともに学ぶ方向には進んでいないことは明らかである。
▼つまりは、子どもたちはそれぞれの地域で、そして学校社会の中で、障がいのある子どもたちと共に学び共に暮らす機会がないということでもある。そうであれば、小さいころ障がいを持ったきいちゃんがなぜ親から離れて非常に遠く離れた学校に行って障がいを克服する訓練をするようになったのか理解をすることはできないし、成長したきいちゃんが障がい者ゆえに“奪われたもの“の大きさや、それを何とかして “取り戻したい”という願いの大きさを想像することはできない。いや、子どもだけでなく教師自身もほとんどの人がその生い立ちの中で、障がい者と共に生きる社会で育っていないのだからきいちゃんの気持ちに迫ることが難しいのではないか、とすら思われる。
▼共に生きることを否定され排除された障がい者の「思い」や、インクルーシブな社会を希求する障がい者の「思い」を受け止めていく契機として、教師向けに[参考資料②]を提示しておいた。授業の中で使用することも可能である。
▼文科省は参考資料①で「共生社会の形成に向けて、障害者の権利に関する条約に基づくインクルーシブ教育システムの理念が重要であり、その構築のため、特別支援教育を着実に進めていく必要があると考える。」「特別支援教育に関連して、障害者理解を推進することにより、周囲の人々が、障害のある人や子どもと共に学び合い生きる中で、公平性を確保しつつ社会の構成員としての基礎を作っていくことが重要である。次代を担う子どもに対し、学校において、これを率先して進めていくことは、インクルーシブな社会の構築につながる。」等との報告を出している。しかし、全国の学校の特別支援教育の内実はほとんど旧態依然とした分離教育(特殊教育という名の分離教育)指向の認識で実践されていて、共生社会に向けての意識を育てる教育は進んでいない。
▼中学校道徳各社教科書の教材に障がい者との共生を考えさせるものだと思われるものを参考資料③に挙げたが、どれも健常者の視点で書かれていて障がい者当事者の視点がないように思われる。
▼文科省が参考資料①で示した方向で、学校全体でインクルーシブ教育を進めているところがあるのかどうかは把握できていない。が、社会的な課題である少子化の現実とは裏腹に、特別支援教育という名の分離教育がスマートに広く透している。その証左として、特別支援学校や特別支援学級に在籍する子どもたちが増加しているため、全国的に学校数や学級数を増加する事態になっている。いわゆる通常学級で障がいのある子もない子もともに学ぶ方向には進んでいないことは明らかである。
▼つまりは、子どもたちはそれぞれの地域で、そして学校社会の中で、障がいのある子どもたちと共に学び共に暮らす機会がないということでもある。そうであれば、小さいころ障がいを持ったきいちゃんがなぜ親から離れて非常に遠く離れた学校に行って障がいを克服する訓練をするようになったのか理解をすることはできないし、成長したきいちゃんが障がい者ゆえに“奪われたもの“の大きさや、それを何とかして “取り戻したい”という願いの大きさを想像することはできない。いや、子どもだけでなく教師自身もほとんどの人がその生い立ちの中で、障がい者と共に生きる社会で育っていないのだからきいちゃんの気持ちに迫ることが難しいのではないか、とすら思われる。
▼共に生きることを否定され排除された障がい者の「思い」や、インクルーシブな社会を希求する障がい者の「思い」を受け止めていく契機として、教師向けに[参考資料②]を提示しておいた。授業の中で使用することも可能である。
指導案と参考資料(補足資料など)はPDFをご覧ください。