中学校 道徳教科書
東京書籍 新しい道徳
宝塚方面行き―西宮北口駅 A案 (東京書籍 中学校2年 p.76)
内容項目 | 主として集団や社会との関わりに関すること |
---|---|
遵法精神、公徳心 公正、公平、社会正義 |
1.本教材について
▼考え、議論するために 本教材は、主人公が、友人のためにカバンを置いて席を確保していることを高齢の男性にとがめられ、反 発したり、ふてくされたりしては見たものの 周りの冷たい視線が気になって、まずいことをしたのではな いかと感じるようになったという内容である。挿絵や高齢の男性の言っていることを総合すると、電車内 は相当に込み合っており、友人のために席を確保するという行為は、まわりのヒンシュクを買うであろう ことは容易に想像できる。そこで教材も主人公たちが反省することを予感させて終わっている。こうした 読み物教材では、作者の言いたいことははっきりしているので考える余地も議論する余地もあまりない。 そこで、本教材を手掛かりにして考えたり議論したりするためにはひと工夫が必要になる。教科書では、 最後のまとめで「迷惑」という言葉を使っていることに注目して考えたり議論したりする素材を提供 したい。
▼何について議論し、考えるのか ー迷惑という言葉に注目してー
本教材は「よりよい社会のために」という大きなテーマの中の教材であり、該当する内容項目としては、「集団や社会との関わり」「法や決まり、権利と義務」「きまり、遵法精神、公徳心」が挙げられている。 本指導案では以上のことに加えて「公共の精神、社会参画」という視点からも考えてみたい。「迷惑」と は大辞泉では「ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること」とされてい る。教材の生徒のとった行為は、他の人が不利益を受けたり不快を感じたりする場合に相当するので、こ の行為の是非を考えるには「社会参画,公共の精神」の枠の中で考えるにはちょうどいい言葉であると思 われるし、逆に電車の中という社会の中で、違法ではなく不公平でもない方法で気持ちよく過ごすことに ついて考えることは「社会参画,公共の精神」をかんがえることに近いと思われる。 教科書の指導書でも「権利」や「義務」ではなく、「迷惑」という言葉をキーワードとして使っている。 指導書は「導入」で「電車やバスの中で迷惑だな、と思ったことはあるか」と問いかけ、「展開」で、「公 共の場で多くの人に迷惑をかけないためにどのようなことに気を付ければよいか」とまとめている。こ のまとめは教科書の「自分を見つめよう」という欄に書かれた文言でもある。つまり教科書では「迷惑 をかけているかどうか」を規範として重視している。WEB上にアップされている指導案でも「キーワー ド」は迷惑である場合が多い。本教材で授業を行う教員の多くも教材文の中の女子中学生の迷惑行為を 通して、「自分たちも人に迷惑をかけていることはないだろうか」ということを考えさせるのではないだ ろうか。
私たちの身の周りでは「迷惑」という言葉がよく使われる。生徒も親から人に「迷惑」をかけるな、とよく言われるのでないだろうか。1997年に行われた日本人のモラルについての調査によると、モラルにかかわる言葉としてもっとも使われていたのは「迷惑」だという(「応用倫理学講義6 教育」越智貢編著 2005年 岩波書店)しかし、迷惑というのはあいまいな言葉である。先に紹介した大辞泉の定義でも「不利益を受けた」とか「不快に感じる」というのは人によってまちまちである。また、「権利」とか「義務」という言葉に比較すると「集団」を意識した言葉である。迷惑をかけないように、ということは、まわりに同調して行動することを推奨していると取られかねない場合もある。
また、迷惑をかけるなという理由で基本的な権利まで制限されてはならないはずである。例えば生活保護を受けるに際して「迷惑をかけることになる」と言って辞退しようとする人がいる。 また、病気や障害をかかえていることは、社会に迷惑をかけていることだ、ということを言う人もいる。
そこで、本授業では、公共の場でやってはならないこと、やらない方がよいことを考えると同時に「迷惑」という言葉について、具体的な例に即して吟味してみたい。そのために様々な事例を紹介する資料を作成して配布する。資料には参考2の事例に授業者が付け加えたり、削除したりしておく。特に身近な例を加えられるとよい。
▼指導過程 ―探究の対話ー
本指導案では生徒同士の対話によって「迷惑」等について考えることを促しているが、話し合いの方法 として、教科書に掲載されている「探究の対話」(東書1年生92p)を紹介している。「探究の対話」の 方法は一つと決まっているわけではない。問いを立てるのは子どもというのが本来のやり方だが、本指導 過程では授業者である。ただ、議論を誘導したりすることはせず、できるだけ自由に対話すること、授業 者も子どもと対等に、テーマについて考え、オープンエンドで終わらせることなどが共通点である。「考 え議論する道徳」と親和的な方法であろう。
探究の対話で通常考えられる「対話のルール」は以下のとおりである。
対話のルール
最初に少し自分の考えをまとめる時間をとる。
いろいろな形で発言を促すが、安心して発言してもらうために次のようなルールを決める。
☆指名されたときはコミュニティボールを渡される。
※コミュニティボールとはあたっても痛くない、毛糸玉のようなボール。コミュニティボールの作り方は次のURL参照
https://www.youtube.com/watch?v=vZeQHgR9KcU
☆コミュニティボールを持っている人だけが発言できる。
☆発言は強制しない。(指名されてもパスできる。)
☆他の発言を非難したり、ばかにしたりするようなことは言わない。
☆発言した人は、意見を聞いたみたい人や、まだ発言していない人にコミュニティボールを渡すことができる。
▼道徳授業の目的はなにか
「特別の教科 道徳」の目標は、道徳的な課題を考え続けること、正解を見出すことではなく、考え続ける資質を育てることである。オープンエンドというやり方が必要な所以である。授業後休み時間にも議論が続くことが理想である。
参考
『じぶんで考えじぶんで話せるこどもを育てる哲学レッスン』河野哲也 河出書房新社 2018年
また、NHK Eテレ 「Q 子どものための哲学 for school」ではわかりやすい動画を見ることができる。
▼何について議論し、考えるのか ー迷惑という言葉に注目してー
本教材は「よりよい社会のために」という大きなテーマの中の教材であり、該当する内容項目としては、「集団や社会との関わり」「法や決まり、権利と義務」「きまり、遵法精神、公徳心」が挙げられている。 本指導案では以上のことに加えて「公共の精神、社会参画」という視点からも考えてみたい。「迷惑」と は大辞泉では「ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること」とされてい る。教材の生徒のとった行為は、他の人が不利益を受けたり不快を感じたりする場合に相当するので、こ の行為の是非を考えるには「社会参画,公共の精神」の枠の中で考えるにはちょうどいい言葉であると思 われるし、逆に電車の中という社会の中で、違法ではなく不公平でもない方法で気持ちよく過ごすことに ついて考えることは「社会参画,公共の精神」をかんがえることに近いと思われる。 教科書の指導書でも「権利」や「義務」ではなく、「迷惑」という言葉をキーワードとして使っている。 指導書は「導入」で「電車やバスの中で迷惑だな、と思ったことはあるか」と問いかけ、「展開」で、「公 共の場で多くの人に迷惑をかけないためにどのようなことに気を付ければよいか」とまとめている。こ のまとめは教科書の「自分を見つめよう」という欄に書かれた文言でもある。つまり教科書では「迷惑 をかけているかどうか」を規範として重視している。WEB上にアップされている指導案でも「キーワー ド」は迷惑である場合が多い。本教材で授業を行う教員の多くも教材文の中の女子中学生の迷惑行為を 通して、「自分たちも人に迷惑をかけていることはないだろうか」ということを考えさせるのではないだ ろうか。
私たちの身の周りでは「迷惑」という言葉がよく使われる。生徒も親から人に「迷惑」をかけるな、とよく言われるのでないだろうか。1997年に行われた日本人のモラルについての調査によると、モラルにかかわる言葉としてもっとも使われていたのは「迷惑」だという(「応用倫理学講義6 教育」越智貢編著 2005年 岩波書店)しかし、迷惑というのはあいまいな言葉である。先に紹介した大辞泉の定義でも「不利益を受けた」とか「不快に感じる」というのは人によってまちまちである。また、「権利」とか「義務」という言葉に比較すると「集団」を意識した言葉である。迷惑をかけないように、ということは、まわりに同調して行動することを推奨していると取られかねない場合もある。
また、迷惑をかけるなという理由で基本的な権利まで制限されてはならないはずである。例えば生活保護を受けるに際して「迷惑をかけることになる」と言って辞退しようとする人がいる。 また、病気や障害をかかえていることは、社会に迷惑をかけていることだ、ということを言う人もいる。
そこで、本授業では、公共の場でやってはならないこと、やらない方がよいことを考えると同時に「迷惑」という言葉について、具体的な例に即して吟味してみたい。そのために様々な事例を紹介する資料を作成して配布する。資料には参考2の事例に授業者が付け加えたり、削除したりしておく。特に身近な例を加えられるとよい。
▼指導過程 ―探究の対話ー
本指導案では生徒同士の対話によって「迷惑」等について考えることを促しているが、話し合いの方法 として、教科書に掲載されている「探究の対話」(東書1年生92p)を紹介している。「探究の対話」の 方法は一つと決まっているわけではない。問いを立てるのは子どもというのが本来のやり方だが、本指導 過程では授業者である。ただ、議論を誘導したりすることはせず、できるだけ自由に対話すること、授業 者も子どもと対等に、テーマについて考え、オープンエンドで終わらせることなどが共通点である。「考 え議論する道徳」と親和的な方法であろう。
探究の対話で通常考えられる「対話のルール」は以下のとおりである。
対話のルール
最初に少し自分の考えをまとめる時間をとる。
いろいろな形で発言を促すが、安心して発言してもらうために次のようなルールを決める。
☆指名されたときはコミュニティボールを渡される。
※コミュニティボールとはあたっても痛くない、毛糸玉のようなボール。コミュニティボールの作り方は次のURL参照
https://www.youtube.com/watch?v=vZeQHgR9KcU
☆コミュニティボールを持っている人だけが発言できる。
☆発言は強制しない。(指名されてもパスできる。)
☆他の発言を非難したり、ばかにしたりするようなことは言わない。
☆発言した人は、意見を聞いたみたい人や、まだ発言していない人にコミュニティボールを渡すことができる。
▼道徳授業の目的はなにか
「特別の教科 道徳」の目標は、道徳的な課題を考え続けること、正解を見出すことではなく、考え続ける資質を育てることである。オープンエンドというやり方が必要な所以である。授業後休み時間にも議論が続くことが理想である。
参考
『じぶんで考えじぶんで話せるこどもを育てる哲学レッスン』河野哲也 河出書房新社 2018年
また、NHK Eテレ 「Q 子どものための哲学 for school」ではわかりやすい動画を見ることができる。
2.本教材を扱う際に、特に注意すべきだと考えたこと
▼授業者も話し合いに加わるが、まとめたり、結論を言ったりするのではないということに注意したい。また、生徒が話し合いに参加して、自由にどんな意見でも言える雰囲気が特に重要である。
参考資料
1.探究の対話について
1年生の教科書p.92参照。
出された問いについて、皆で対話しながら考えるために開発された方法である。この方法のポイントは人の話をよく聞くことである。正解を見つけることが求められているのではなく、考え続けることが求められる。問いは生徒が立てることが本来のやり方だが、今回は授業者が立てる。
2.「迷惑」という言葉を考えるための様々な事例
(1)「電車内の化粧のどこがマナー違反か」「女性への抑圧」
東急電鉄は2016年から車内マナーに関する啓発動画を公開している。進学して東急線沿線に住むことになった女性を主人公にしたものだ。「車内化粧篇」では。「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともない」と、座席シートでメイクする女性のまえで激しく踊るシーンがアップされている。しかし、ツイッター上では、この広告に対して、「電車内の化粧のどこがマナー違反かよくわからない」「女性への抑圧」などと疑問の声が続々と寄せられた。写真を見る限り、女性の座るシートの周りは空いている。ツイッターなどでは、男性の体臭や酔っ払い、騒音、痴漢など「車内化粧」より糾弾すべきものがあるという意見も相次いだ。その一方で、賛意を示す意見も多い。
動画のURL:https://www.youtube.com/watch?v=ds17k26JBvU
(2)車内の化粧はいけないことか―規範意識のずれー 倫理学者の鷲田清一は知人の次のような解釈を紹介している(『自分・この不思議な存在』)。その知人は、祖母が鏡台に向かって髪を梳いているのを目にした時、猫に見られても恥ずかしいという理由で、彼女にひどく叱られたそうである。おそらく、化粧や身支度の姿は他者の視線にさらされてはならないという規範意識が彼女にはある。こうした規範意識のもとでは、化粧は他者の視線から隠さなければならない。一方、車内で化粧する女性には、その規範が通用しない。化粧する彼女には、他の乗客は化粧というプライベートな振る舞いをさらすことが恥ずかしいものとなるような他者として見えてはいない。(『倫理学の地図』篠沢和久他編 ナカニシヤ出版 2010年)
(3)「授乳」論争
2017年1月31日の毎日新聞には公共の場での授乳はマナー違反だという投稿をきっかけに賛否両論が起こった。「授乳は自然な行為」「場所をわきまえるべき」などという意見とともに「授乳マナーが議論になること自体が日本社会が育児に不寛容な証拠」という意見も。
(4)小さな子どもの泣き声をめぐって 新幹線などで小さな子どもが泣くのは迷惑。泣かせないようにするのは親の責任、という声もあり、それへの異論もある。「子どものなき声 新幹線」で検索するといろいろな意見を見ることができる。
(5)東書小学校5年の教科書には「ノンステップバスでのできごと」という教材がある。その要旨は次のとおりである。
【和也はバスで祖母の家まで行くことになった。朝の時間帯で道路が込んでいて和也は祖母を待たせるのではないかと気にしていた。途中で車いすの人が乗ってきた。運転手はバスから降りてスロープ板を用意するなど、車いすの人が乗るために時間がかかった。和也の近くにいた高校生の中には「迷惑だよな、次のバスに乗ってほしいよ」と言っている人もいる。和也も心の中で思わずうなずいていた。そばにいたおじさんは車いすスペースまで運転手さんの手伝いをした。車いすの人が「どうもすみません。ありがとうございます。」というとおじさんは「あやまることなんかありませんよ。バスに乗るのは当たり前ですからね」と応じていた。】
(6)2022年9月2日の NHKおはよう日本では次のようなツイートが紹介されていた。 ツイートの内容は下記の通り https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220902/k10013791241000.html
【さっき5人しか乗っていないガラガラのバスでベビーカーを専用座席にベルトで固定して乗っていたら、男性に「邪魔なんだよ!畳めやこのブタ!」と怒鳴られベビーカーを蹴られたのだが、残念!国土交通省によりベビーカーは畳まなくてもよいとルール化されているので明日も強い気持ちでバスに乗るぞ!(Twitter 2022年7月28日) 】
ベビーカーで電車やバスに乗ると様々な反応がある。下記」のURLを参照
2019年2月20日 東京新聞 https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/hoiku/12005/
1年生の教科書p.92参照。
出された問いについて、皆で対話しながら考えるために開発された方法である。この方法のポイントは人の話をよく聞くことである。正解を見つけることが求められているのではなく、考え続けることが求められる。問いは生徒が立てることが本来のやり方だが、今回は授業者が立てる。
2.「迷惑」という言葉を考えるための様々な事例
(1)「電車内の化粧のどこがマナー違反か」「女性への抑圧」
東急電鉄は2016年から車内マナーに関する啓発動画を公開している。進学して東急線沿線に住むことになった女性を主人公にしたものだ。「車内化粧篇」では。「都会の女はみんなキレイだ。でも時々、みっともない」と、座席シートでメイクする女性のまえで激しく踊るシーンがアップされている。しかし、ツイッター上では、この広告に対して、「電車内の化粧のどこがマナー違反かよくわからない」「女性への抑圧」などと疑問の声が続々と寄せられた。写真を見る限り、女性の座るシートの周りは空いている。ツイッターなどでは、男性の体臭や酔っ払い、騒音、痴漢など「車内化粧」より糾弾すべきものがあるという意見も相次いだ。その一方で、賛意を示す意見も多い。
動画のURL:https://www.youtube.com/watch?v=ds17k26JBvU
(2)車内の化粧はいけないことか―規範意識のずれー 倫理学者の鷲田清一は知人の次のような解釈を紹介している(『自分・この不思議な存在』)。その知人は、祖母が鏡台に向かって髪を梳いているのを目にした時、猫に見られても恥ずかしいという理由で、彼女にひどく叱られたそうである。おそらく、化粧や身支度の姿は他者の視線にさらされてはならないという規範意識が彼女にはある。こうした規範意識のもとでは、化粧は他者の視線から隠さなければならない。一方、車内で化粧する女性には、その規範が通用しない。化粧する彼女には、他の乗客は化粧というプライベートな振る舞いをさらすことが恥ずかしいものとなるような他者として見えてはいない。(『倫理学の地図』篠沢和久他編 ナカニシヤ出版 2010年)
(3)「授乳」論争
2017年1月31日の毎日新聞には公共の場での授乳はマナー違反だという投稿をきっかけに賛否両論が起こった。「授乳は自然な行為」「場所をわきまえるべき」などという意見とともに「授乳マナーが議論になること自体が日本社会が育児に不寛容な証拠」という意見も。
(4)小さな子どもの泣き声をめぐって 新幹線などで小さな子どもが泣くのは迷惑。泣かせないようにするのは親の責任、という声もあり、それへの異論もある。「子どものなき声 新幹線」で検索するといろいろな意見を見ることができる。
(5)東書小学校5年の教科書には「ノンステップバスでのできごと」という教材がある。その要旨は次のとおりである。
【和也はバスで祖母の家まで行くことになった。朝の時間帯で道路が込んでいて和也は祖母を待たせるのではないかと気にしていた。途中で車いすの人が乗ってきた。運転手はバスから降りてスロープ板を用意するなど、車いすの人が乗るために時間がかかった。和也の近くにいた高校生の中には「迷惑だよな、次のバスに乗ってほしいよ」と言っている人もいる。和也も心の中で思わずうなずいていた。そばにいたおじさんは車いすスペースまで運転手さんの手伝いをした。車いすの人が「どうもすみません。ありがとうございます。」というとおじさんは「あやまることなんかありませんよ。バスに乗るのは当たり前ですからね」と応じていた。】
(6)2022年9月2日の NHKおはよう日本では次のようなツイートが紹介されていた。 ツイートの内容は下記の通り https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220902/k10013791241000.html
【さっき5人しか乗っていないガラガラのバスでベビーカーを専用座席にベルトで固定して乗っていたら、男性に「邪魔なんだよ!畳めやこのブタ!」と怒鳴られベビーカーを蹴られたのだが、残念!国土交通省によりベビーカーは畳まなくてもよいとルール化されているので明日も強い気持ちでバスに乗るぞ!(Twitter 2022年7月28日) 】
ベビーカーで電車やバスに乗ると様々な反応がある。下記」のURLを参照
2019年2月20日 東京新聞 https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/hoiku/12005/
指導案と参考資料(補足資料など)はPDFをご覧ください。