中学校 道徳教科書の光村図書 きみがいちばんひかるとき(中学校)の教材、「ひまわり」の内容です。

中学校 道徳教科書

光村図書 きみがいちばんひかるとき

ひまわり

内容項目 主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること
生命の尊さ
光村図書 中道徳1年-1
1 本教材について
資料名 「ひまわり」(光村1年p55~本指導案はD19「生命の尊さ」に絞ったが、B7「思いやり」C15「家族愛、家庭生活の充実」での展開も可能) 
▼本教材は、身近で、大事な人が災害によって突然の死を迎えることになったことをテーマにしている。  ▼1年生の教科書には「死」について考える教材が他に二つある。「捨てられた悲しみ」では人の人生の一時期を伴走した生き物の生命について考える機会を、「エルマおばあさんからの『最後の贈り物』」は、病気で、余命があまりないということがわかったエルマおばあさんの「死」の迎え方を、それぞれ考える機会になると思われる。いずれも「死に向き合い」、「死について考える」ための教育と捉えることができる。いずれにせよ、「死」を考えることは「生」を考えることだ、ということを踏まえたい。  
▼2,3年生にも「尊厳死」や「臓器移植」について考える教材があるので3年間で、計画的に「死に向き合い」、「死について考える」ための教育をすることを考えると良いのではないだろうか。
▼身近で大事な人の「死」は、大きな喪失感を伴い、受け入れることが難しい。アルフォンス・デーケンが提唱する悲嘆のプロセス(参考資料1)は、授業で説明するかどうかはともかく、踏まえておくと良いと思う。  ▼死者を鄭重に弔うことはその人の生きてきた歴史を鄭重に扱うことと同じであることをあらためて考えたい(余裕があればB7,C15への発展も考えたい)。  
▼葬儀などは、身近で大事な人の「死」を受け入れるために必要な「喪の期間」と考えられるが、現代では時間も短く、形式的になっている上、それをあたりまえとも受け止めている。そうした現状がよいのかどうか、子どもたちと考えてみることもできる。(参考資料2,3参照)  
▼近くに身近で大事な人を突然の死によって失った人がいたらどのような助けができるのか、考えてみたい  ▼本教材の佐々木清和さんの場合はだれもが知っている大震災によって身近で大事な人を失ったケースであるが、中には悲しみを外に出せないケースもある。身近で大事な人が「LGBT」のように社会的に公認されていない場合、自殺で、親族が表に出したくない場合などであるが、こうした場合は悲しみを外に出せないだけ、苦しみは複雑になる。特に身近で大事な人の自殺については遺された者に深い傷を残すことを考えたい。
2.本教材を扱う際に、特に注意すべきだと考えたこと ▼言うまでもないが、「死」について考えるに際して、死後、たとえば永遠の生命があるなどという特定の考え方を強制することは慎まなければならない。
▼授業者が自らの信仰を語ることは慎むべきだが、生徒の中に信仰を持つものがいてそれを語ることは構わないと思う。その際、その生徒の信仰に敬意を払うことは当然である。  
▼最近家族などに「死」を迎えた人がいる場合などは扱いを変えたり、扱わない、という選択肢もある。慎重に考えたい。
参考資料 資料1 身近で大事な人の死にあったときの、悲嘆のプロセス(前掲 アルフォンス・デーケン) 大切な人の「死」に遭ったとき経験する一連の情緒的反応。デーケンは前掲書で「(悲嘆のプロセスは)喪失体験に耐えて、これを受け入れる、現実に対する健全な適応力を回復するために必要な反応」と説明している。 「精神的打撃とマヒ状態」:一時的に現実感覚がマヒ状態になり、何もわからなくなってしまう。 「否認」: 感情だけでなく、理性も死を認めようとしない。死ぬはずはないなどと思い込む。 「パニック」:極度のパニック状態になる。これを防ぐことが悲嘆教育の目標の一つ。 「怒りと不当感」:不当な苦しみを負わされたという激しい怒り、なぜ自分だけがこんな不幸に見舞われるのかという不当感につきまとわれる。死の直接の責任者がいる場合は責任者に怒りが向かう。 「敵意とルサンチマン」:周囲の人や亡くなった人に対して敵意や恨みという形でやり場のない感情をぶつける。 「罪意識」:過去の行いを悔やみ、自分を責める。あの時こうしてあげれば良かった、あんなことを言わなければ良かったなど。  「空想形成、幻想」:空想の中で亡くなった人がまだ生きていると思い込み、実際にもそのように振るまったりする。 「孤独感と抑うつ」:気分が沈んで、自室に引きこもったりする。 「精神的混乱とアパシー」:生活の目標を見失ってまったくやる気を失う。 「あきらめー受容」:死というつらい現実を見つめて受け入れようとする。 「新しい希望―ユーモアと笑いの再発見」:悲しみを克服して次の新しい生活への一歩を踏み出そうとする。  「立ち直りの段階―新しいアイデンティティの誕生」:苦しい経験を経て新しいアイデンティティを獲得する。フロイトの言う「悲嘆の仕事」を成し遂げる。
資料2 突然の死と遺された者について(「エルマおばあさんの『最後の贈り物』」にも同じものを掲載)
▼赤ちゃんの突然死:1歳未満の赤ちゃんがかかる乳幼児突然死症候群による死は、親の不注意ではないかと思ってしまい、時にはまわりの人の不用意な言葉などで傷つくことがある。
▼事故による突然死:一刻も早く来てくれ、などといった相手が来る途中で事故を起こし、死亡したような場合、自分の責任ではないかと思ってしまうことがある。
▼災害による突然死:「ひまわり」では大震災の朝、佐々木さんは妻であるりつ子さんとけんかし、 そのまま家を出た。午後、大震災による津波でりつ子さんと娘の和海さんが亡くなった。
▼子どもの自殺:自殺は、遺された者には大きな傷跡を残す。中でも子どもの自殺は親にとっては大きな衝撃である。
▼「大切な人の死」の受容:自分にとって大事な人の「死」は簡単には受け入れられないことがある。喪失感の強さから病気になったり、自殺してしまう人もいる。「大切な人」の死は、多くの人にとって「危機」なのである。
資料3 大切な人の死を扱った小説やドラマ
▼『きっちん』 吉本ばなな 新潮文庫 2002年 3つの短編集。主な登場人物は、唯一の身寄りだった祖母など大切な人を亡くした人ばかり。台所で寝てばかりいて何もする気力がなかったり、恋人のことばかり考えてどんどんやせていったり、恋人が着ていたセーラー服を着て登校したり、生き直しがうまくできないでいる。そんな人たちが生き直しのスタートラインにつくまでを描いている。
▼『監察医 朝顔』2019年7月からフジテレビ系で放映されたドラマ 横浜で、監察医の仕事をしている朝顔は警察官の父親と暮らしているが、母親を東日本大震災の津波で亡くした。母親の実家に行っていたとき震災にあったのである。朝顔、父親、祖父(母親の父)は3人とも、母親、妻、娘の死を受け入れられない。3人が日常生活を送りながら少しずつ、受け入れていく様子を描いている。
指導案はPDFをご覧下さい。ダウンロードできます。
「ひまわり」
©2018 人権を大切にする道徳教育研究会
pagetop